シャレード・デ・トマソとは
シャレードはダイハツが製造販売していた車です。デトマソはイタリアの自動車メーカーです。
なぜ、シャレード・デトマソという車種があるのか簡単に経過を説明します。
デトマソ社の創立者であるアレッサンドロ・デ・トマソ氏は、祖父母がイタリア出身ですが、本人は祖父母の移住先アルゼンチンで生まれました。デ・トマソはアルゼンチンでレーシングドライバーとして出発していましたが、諸般の事情で(話せば長くなるので)イタリアに移りました。そこでもレーシングドライバーとして活躍しましたが、自ら企画して自分の名を冠にしたいという気持ちで、1959年、イタリアのモデナに「デ・トマソ・アウトモビリ」という会社を設立したのです。そこで、レーシングカーやスポーツカーを手がけました。そうして、フェラーリやランボルギーニほど有名ではありませんが、「マングスタ」や「パンテーラ」を創り出すなどスーパーカーを創るメーカーとしてのイメージを定着させました。
その一方で小型車にも手をつけるようになり、1976年に小さなメーカーのイノチェンティを買収(その後1990年にフィアットに売却)し、小型車市場にも参入したのです。しかし、エンジンを自社開発するほどの余裕はなく、イノチェンティ・ミニのパワーユニットを探していたのです。そこで目に付いたのが、シャレードのSOHC3気筒1Lエンジンだったのです。よって当時のイノチェンティ・ミニにはダイハツ製エンジンが搭載されていたわけです。
それが縁となって、ダイハツとデ・トマソが友好関係になったのです。そうしてダイハツはデ・トマソにシャレードのスポーツモデルのデザインを依頼し、2代目シャレードで「デトマソ・ターボ」が実現したのです。その後も市販はされませんでしたが、3代目シャレードも1987年の東京モーターショーでデ・トマソモデルが出展されるなど、両社の関係が続きました。
▲イノチェンティ・ミニ
そして再びデ・トマソに、平凡なデザインで人気がなかった4代目シャレードのドレスアップを依頼したのです。そして誕生したのがイタリアンムードたっぷりの今回の「シャレード・デ・トマソ」だったのです。
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▲2代目 1984年 | ▲2代目 ガンメタリック | |
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▲3代目 1987年(東京モーターショー参考出品) | ▲4代目 1993年 |
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▲デトマソカタログに付属の挨拶文 (翻訳部分は下記のとおりです) このクルマは、市販車として私がチューニングした2度目のシャレードです。 ダイハツと我が社の深い縁があって、再び腕をふるうことができたことを嬉しく思います。このような試みはもっと 行われてよいのでは、と考えていますがその点で、シャレード・デ・トマソは、大きな意味を持つクルマでしょう。 シャレード・デ・トマソのフィーリングが、日本の若い方々に強く支持されることを心から願って、お贈りします。 アレッサンドロ・デ・トマソ |
2003年5月21日 アレッサンドロ・デ・トマソ氏はイタリアのモデナで心不全のため死去しました。 享年74歳。ご冥福をお祈りいたします。 |
追伸・・・2004年5月、デトマソ社は解散しました。 |
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